二ツ沼歌碑・古戦場

ページ番号1004373  更新日 2024年2月26日

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二ツ沼歌碑・古戦場

当地を詠った萬葉歌「沼二つ 通は鳥が巣 あが心 二行くなもと なよ思はりそね」(14巻の東歌)を刻んだ石碑。国道6号線の西側に建っています。また、戊辰戦争では、慶応4年 仙台藩軍を主力とした「奥羽越列藩同盟」軍と芸州・長州藩などの西軍との間で激しい攻防戦がこの地で展開されたと伝えられています。


二ツ沼歌碑・古戦場


二ツ沼と弁天坂


下北迫の旧広野を過ぎ、北に陸前浜街道を行くと、現在の国道六号を越え、やがて二ツ沼に達します。
この二ツ沼は、古くから、浜街道沿いの名所として知られていて、「相馬路楢葉郡北迫村にあり。南の周り二百十歩ばかり、北の周り百二十歩ばかり、沼中淵あり、水に随って浮沈し、風に随って動揺す。この沼にジュンサイ生ず、倭俗、弥奴奈和(ヌナワ)と呼ぶ。」と『磐城風土記』にあります。
また、天明六年には、沼の洲に弁財天が祀られて、それ以降、ここで雨乞いの祈願が行われていました。
このようなことから、ニツ沼を弁天沼ともいい、また、沼の東を通る坂を弁天坂とも呼んでいます。

戊辰戦争では、このニツ沼を中心とした地に、相馬藩・仙台藩を中心とした東軍が溝塁を築いて防線を張ったことから、激戦の地となりました。
ここでの戦いを、西軍では弁天坂の戦いと呼び、東軍では広野の戦いと呼んでいます。
ニツ沼は、このような一面もありますが、反面、詩情溢れる地としても知られています。
万葉集第十四巻に『沼二つ 通は鳥が巣 あが心 二行くなもと なよ思はりそね』と詠まれた場所は、まさに、ここをおいて無いとされ、歌碑が建てられています。
今でも、沼には、水鳥が飛び交う姿を見ることができます。
(広野町史 通史編より)



住所
〒979-0402 福島県双葉郡広野町下北迫二ツ沼14-6
電話番号
0240-27-4166(広野町教育委員会)
交通アクセス
広野駅から車で5分