松原山秀臨院 林蔵寺

ページ番号1004365  更新日 2024年2月26日

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松原山秀臨院 林蔵寺

松原山秀院院 林蔵寺
松原山秀院院 林蔵寺

縁起によれば、文明年中(1469‐87)浅見川村の高倉山城主・猪狩筑後守隆清が一寺を創立し林蔵寺と称し、その後、没落したが、磐城平藩主内藤氏の庇護を受け1671年、現在地に移りました。しかし、野火により本堂などが焼失し、仮寺を設けて本尊を安置していましたが、1838年良歓寛善が伊達郡梁川村(現梁川町)福名寺から移り、1846年に本堂を再建したといわれています。
そして後の1873年、林蔵寺にはもともと江戸時代から続く寺子屋があり、その流れで広野小学校が習生学校として設立されました。
当時の教室は、林蔵寺の本堂が使われ、それからいろいろな場所に移りながら、現在の場所に建てられました。最初の校長先生は林蔵寺の和尚さんだった方がなったそうです。


町指定文化財 天然記念物

林蔵寺のカヤ(町指定文化財 天然記念物)

林蔵寺境内の南東側に、樹齢約400年のカヤの木があります。昭和58年に福島県の「緑の文化財」に登録されました。

林蔵寺のいちょう(町指定文化財 天然記念物)

林蔵寺境内の南東側に、カヤと並んで樹齢約400年のいちょうの大木があります。昭和58年に福島県の「緑の文化財」に登録されました。


カヤの木といちょう


物見の松

上北迫の代の丘に、一抱え余りもある松の木がありました。この木の頂に登ると、北迫川下流一帯を見渡すことができました。
戊辰戦争のとき、相馬藩・仙台藩兵を中心とした東軍は、北上してくる西軍を相手に、林蔵寺周辺で迎え撃つこととなりました。
このとき、進撃して来る西軍の状況を見るために、物見の役が登ったのが、この松の木であったといわれています。
この松の木は、残念なことに、先年、松食い虫におかされ枯れてしまい、伐られてしまいました。
林蔵寺境内の裏山には、当時掘られた塹壕の跡なども見られます。
(広野町史 通史編より)


物見の松



住所
〒979-0401 福島県双葉郡広野町上北迫代83
電話番号
0240-27-3958
交通アクセス
広野駅から