五社山

ページ番号1004354  更新日 2024年5月13日

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五社山を知る

広野町にとって自慢のトレッキングコースを持つ山

五社山は標高685.2メートルで、東京スカイツリーより51メートルほど高い山で、福島100名山の94番目に選ばれており、外観は端正な三角形できれいな稜線が尚一層その姿を優美に見せてくれています。 現在は「五社山ふるさとの森」として整備され、季節によっては、いわきから相馬沖までの眺望を楽しむ事ができると言われています。


トレッキングのタイトル
五社山トレッキングコース

トレッキングコースの魅力ポイント

トレッキングのイラスト

五社山は阿武限高地の東側に位置し、標高685.2メートル。新地の鹿狼山・富岡の大倉山よりも高く、相馬・双葉地方の東側では一位二位を争う高い山です。
頂上近くには展望台もあり、美しい景観を楽しむ事ができます。
整備されている「五社山ふるさとの森」は極端な高低差はなく、初心者にも比較的歩きやすいトレッキングコースとなっています。


歴史のタイトル
五社山の登山道と浅見川大滝の写真

歴史

五社山は古くは楢葉山あるいは楢葉岳ともよばれ、楢葉八幡神社が鎮座していたといわれています。
古文書によりますと平安時代(今から960年ほど昔)、謀反を起こした蝦夷の豪族安倍一族征伐のために、東北に向かった源頼義は、鎌倉の鶴岡八幡宮を基点として五里(20km)ごとに京都の石清水八幡宮の分祀の社殿を建立し、戦勝を祈願したといわれています。

福島県内ではいわき市植田に上田八幡宮、平に飯野八幡宮さらに五里離れた広野に建立されたのですが、楢葉郡の総社であったため楢葉八幡宮と呼ばれるようになりました。

頼義が戦勝祈願したのは楢葉山であり、その12年ほどのち頼義の長子源義家(八幡太郎)が戦いを終え帰路の途中、石清水八幡宮の霊告により八幡のほかに、熊野・白山・羽黒・稲荷の五つの神々を合わせ集めて一緒にお祀りしたことから、五社山と呼ばれるようになったと伝えられています。
このときに建立された楢葉八幡宮は500年ほど前に焼失し、その後北迫村に遷宮され現在にいたっています。
なおこの奥州討伐は「前九年の役」「後三年の役」とも呼ばれ、歴史でその戦いの名を耳にされている方も多いかと思います。


伝説のタイトル
五社山のトレッキングコース

白鷺と折木温泉

その昔、猟師が五社山の叶川で白鷺に矢を打ちました。その白鷺はその時は傷を負ったまま飛び立っていきました。
後に仲間の猟師から、南沢の芦山あたりで、水湯の溜まり場で1羽の白鷺が何度となく水浴をし、やがて元気に飛び立って行ったという話を聞き、その白鷺はきっとあの時の白鷺ではないかと思いました。
そこで猟師はそこから水湯を汲んで、風呂を焚き近所の人たちと入ってみました。すると打ち身・切り傷・のぼせ・血の道などに効果があることがわかり、人々に伝えると大変喜ばれました。
それが現在の折木温泉と言われており、昔は広野の奥座敷と呼ばれ賑わっていました。


アクセス

地図

JRの広野駅から 車で40分
 ※タクシーで行かれる場合は、事前に帰りのご予約をおすすめいたします。