広野町の成り立ち
広野町は、明治22年4月1日に浜通り中南部の夕筋・折木・上浅見川・下浅見川・上北迫・下北迫の6ヵ村が地勢や歴史性に共通する面が多いことから合併して「広野村」を形成し、昭和15年4月1日に町制施行を行って「広野町」となりました。
「広野村」の名称は合併当初に広野村とも呼ばれていた下北迫村に村役場が置かれていたことに由来します。
地名としての「広野」は天正10年(1582年)の藩主 岩城常隆の時「北迫村に広野立つ」とあるのが初見とされていますが、江戸時代の初期ここに相馬路(南方の岩城平から北方の相馬中村までの浜街道)の宿駅「広野宿」が設けられ、「広野」の名称が使われております。
「浜街道」の名称はすでに8世紀初頭「道(陸)の奥」の国府 多賀城に通じる官道「海道」として敷かれていたことに始まります。
「続日本紀」の養老3年(719年)の条には「石城国始めて駅家一十処を置く」とあり、その一処がこの地に置かれた可能性も考えられます。
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